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2006年4月 3日 (月)

マレーシアの接客とタイの接客  タイ人のシカメッツラ

私はマレーシアの穏健で実務的で中立的な接客がわりと気に入っている。日本の接客と比べることは意味がないが、タイの接客と比べたら天と地ほどの差でマレーシアが優れていると思う。

マレーシアではアブドラ首相自ら、役人に対し「仕事を遅らせて小ナポレオンを気取るな」というような訓辞を発しているようである。これはつまり、南国ではもともと、手続きをわざと遅らせて「もったいぶる」ことよって、自分が「力」を持っていることを見せびらかす傾向があるということだろう。

しかし、マレーシア人にはそういう土着の欠点を改善しようという意識もあるように見える。

マレーシアの一般のレストランは、日本と同じで、店員が伝票(紙切れ)を客のテーブルに置き、客がそれをもってレジまで行って支払うという健全な形式が多い。レジで客が何を食べたかを申告してそのまま支払うこともある。

タイのように座ったまま店員を呼んでテーブルで支払うというのではない。

マレーシアでは注文もすぐにさっさと取りに来ることが多いし、店に入り際に直接店員に注文を言ってもすぐに反応することが多い。

この点、タイ人はいちいちモッタイをつけたがる。注文を取るときも、「チェックビル」のときも、折あるごとに客を値踏みして、ある客(白人客や金持ちそうなタイ人)には下僕のように反応し、他の客は無視したりわざと長く待たせたりして、なにかと屈託をつけるのがタイのやり方。

また英語であれタイ語であれ自分の発音にちょっとでも合わないときは一切聞こうとしないのもタイ人の特徴。(ただし、白人の英語はどんなに訛った英語でもにこにこへらへら聞いている。)

マレーシアにももちろん中国系など感じの悪い店員はいるが、接客(というより対人関係)の理念がタイとはまったく違うことをはっきりと感じる。

タイ人のように、常にどっちが格が上か下かみたいなことばかり考えながら、追従したり見下してみたり、わざと無視してみたりというようなことに多大なエネルギーを費やすのでなく、発想がもっと実務的で率直なように思う。

マレーシアでは相手のいうことが聞き取れないときでも、顔をしかめて「ハアー?」などとは言う人は少ない。人種を問わず相手の意図を汲み取ろうと努力する人が多いように思う。

タイで毎日のように見たあのシカメッ面、一発で腹を壊しそうな土人女の汚いシカメッツラも、マレーシアではまず見ない。マレー人は気難しい人が多いようだが、それでもタイ人のようなシカメッツラは見たことはない。

タイではテレビドラマの女優まであのシカメッツラをさかんに連発している。

最初はあれが南国の美意識なのかとも思ったが、マレーシアでもインドネシアでもテレビで女優があんなシカメッツラをしているのを見たことはない。

どうやらタイ人はああいうシカメッツラをするのが格好良いと思っているようである。気難しそうにしているのを「近代的」で洗練されたことだと思い込んでいるのだろう。

「私はいつもニコニコしてるだけの土人じゃないわ」という、屈折した土人の叫びなのかもしれない。

タイでもイサーンなどの本当の田舎に行くといつもにこにこしている人に出会うことがある。そういう人はタイ族でないことが多い。

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しかし、もっと「アジア的」な接客を好む人たちは、タイを好きになったりするのかもしれない。

ここで「アジア的」というのは、日本の論壇的な意味でのいわゆる「アジア的」という意味。タイの接客はマレーシアとは対照的である。

日本人で「タイの接客が好きだ」といえる人はまず、原則的に「白人客の方が優遇されるのが当然だ」という前提を、何の違和感もなく受け入れられる人でなければならない。これは基本中の基本である。

その上で、彼らは「オレはこのホテルの連中には顔がきくから扱われかたが違う」とか「一目おかれてるから白人客より優先された」とか、そのようなことに喜びを見出すのである。

そのような状況や人間関係を愛好するタイプの人たち(=ようするに根っからの「百姓」)が、タイのとりこになったりする。

(これは一応「健全な」タイ旅行者に限定してのことで、大部分はとにかく買春目的だけであることはあらためて言うまでもない。)

しかし、実際のところ、日本人が「タイが好きだ」と言えるようになるためには、ただ百姓なだけでもダメである。

タイを好きだといえるためには、他の人々や弱い立場の人たちがすぐそこで不条理な扱いを受けているのを見ていても、自分さえ良く扱われていさえすれば満足だ、構わない、という感性の持ち主でなければならない。これは接客の場面でも役所等の扱いでも同様である。

自分のすぐそばで、白人と有色人種とが露骨に異なる扱いを受けていたり、インド系タイ国民が顔だけで犯罪者扱いされていたりするのが目に入ったとしても、自分さえ特別に(あるいは「白人並み」に)扱われていればそれで満足である、何の異議もない、と平気でいられる感性の持ち主でなければならない。

そういうことに少しでも違和感を持つ人は(まともな人はそうだと思うが)、長く滞在するうちにタイがたまらなく嫌いになるはずだと思う。

実は白人にはそういう不条理をを平気で見ていられる感性の持ち主が多い。

それが彼らの「個人主義」であり、前述の「百姓」の問題とはまた別の論点になる。

この点は日本人はよく誤解をし、幻想を持ちがちなところである。というのは日本人の多くは日本人「近代主義」知識人たちが定式化してきた「日本式西洋近代」によって白人の現実を理解しようという滑稽な罠に陥りがちだからである。

白人の「個人主義」の現実は、丸腰のイラク人を殴打するイギリス兵の姿なのであり、それを撮影しながら「イエス、イエース、イエース、ハハハハハ、イエーース」と言って不気味に笑えるような、「独立した」人間性と人格とを鍛え上げるdisciplineにこそ、その基礎がある。白人たちがタイ旅行を愛してやまない理由もここにある。

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